俺のことを愛してくれたおばあちゃんへの感謝の親父の親孝行を手助けするために葬儀の準備へ
生まれてこの方未だ近しい人を亡くした事がないから謎の感覚に包まれるわけだけど、自分が出来ることを精一杯やる
俺は無神教だけれども我が家はクリスチャンなので葬儀でもばあちゃんが好きだった賛美歌を歌うとのこと、
それで親父が伴奏を録音したいらしいからキーボード繋げて録音して、それを編集とかしてた
オルガン2トラックだし、何時もやってるより少ない作業量だけれど変わらず、懇切丁寧に心を込めて
ばあちゃんは今どこにいるんだろうか?天国いるよな?流石に
俺が生まれるよりずっと前に亡くなってしまったじいちゃんと巡り会えてたらいいななんて思う。
話を聞いたら両親が結婚した時ばあちゃんは60歳だったらしくて、その時に早く逝って旦那に逢いに行くわみたいなこと言ってたらしい
そこから36年、最後には寝たきりになってそれでも寿命を全うした。
旦那さんにはなかなか会えないけれど、孫、曾孫に逢えて…それを幸せだと思っててくれればいいななんて思う。
最後の瞬間は親族には看取られることは出来ないほど急だったらしい、もう意識は無かっただろうけど…悲しませてたら悪いなと思う
明日は本当のお別れだ
〜追記〜
能登半島地震から2週間
テレビやYouTubeで流れてくるニュースは家族を失った人達の話ばかり。
奥さんと子供3人を無くした警察官の話とか
旦那さんのいた部屋が押しつぶされ火災すら起きてしまった輪島塗を広めていた奥さんの話とか
本当はもっといっぱいあるんだろうと思う。
こうやって昨日まで大切だと言える同期と後輩と楽しく過ごしていたことは当たり前じゃない。
人はいつか、いずれか死ぬ。
だけど直ぐに死にたいなんて言っちゃ行けないんだなとも思う
少なくとも俺は今自らの意思で死ぬのは死んでも死にきれない
本当は人生で出会えたかもしれない亡くなった人達の分俺は生きなきゃいけないと思う
当たり前を奪われた人の分、生きなきゃいけないと思う
いつだって別れは突然訪れるから
悲しみを忘れるのではなく悲しみに立ち向かえるような生き方を